伝説の陰陽師「安倍晴明」ってどんな人?陰陽師としての実力は?

2022/08/06

日本の神様

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晴明神社の御祭神である安倍晴明とは、一体どんな人物だったのでしょうか?

ここでは、安倍晴明について、調べてみました。

伝説の陰陽師 安倍晴明とは?

安倍晴明は、平安時代の陰陽師で天文博士。

明治時代初期まで、朝廷の公的な学問とされていた陰陽道を伝えた土御門家の祖です。

921年(延喜21年)に生まれ、 1005年10月31日(寛弘2年9月26日))に亡くなっています。

83歳(84歳)に亡くなったとすれば、当時の平均平均寿命に比べると、かなりの長寿ですね。


安倍晴明は、下級貴族 安倍益材(あべの・ますき)の子として摂津国阿倍野(現・大阪市阿倍野区)に生まれました。

幼少の頃については確かな記録はありませんが、当時、陰陽師として有名だった賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学び、陰陽師としてのキャリアをスタートさせました。

陰陽道とは?


小説や映画「陰陽師」を見た人の中には、陰陽道は

「超常的な特殊能力を駆使した秘術」

と思うかもしれません。

しかし陰陽道は、天文や暦などから吉凶を判断し、未来を予知する学問。

現代的にいえば、まじないや占い、占星術などの疑似天文に近いものになります。

それらは「不思議な領域」というより、その知識がそのまま生活全般や農耕、漁業などに直結する、当時の最先端科学でした。


ただ、後代になって陰陽道が次第に民間へ広がりを見せるとともに、根拠を喪失しながら形骸化し、迷信化していったのも事実。

そうした過程の中で、安倍晴明は次第に「神」として崇められるようになっていきました。

安倍晴明の陰陽師としての実力は?

安倍晴明の陰陽師としての実力はどれほどだったのでしょうか?

「大鏡」や「今昔物語集」、「宇治拾遺物語」をはじめとする多くの文献に登場することから、一流の陰陽師として、当時の帝や貴族から重用されたことが伺えます。

ちなみに学生(がくしょう)だった安倍晴明が、村上天皇の依頼で吉凶を占ったという記述も残されています。

その後、天文博士に任ぜられた晴明公は、皇太子時代の第65代・花山天皇や第66代・一条天皇、藤原道長とも深く関わりのあったことが道長の日記「御堂関白記」からも分かります。


晴明の死後、その能力を惜しんだ一条天皇の勅により、一条戻橋のそばにあった屋敷跡に晴明神社が創建されました。

また江戸時代の歌舞伎「蘆屋道満大内鑑」などによって次第に伝説化されていきました。


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